写 真で伝える百姓の今、自然の移り変わり
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街なかの水路

2007/08/09撮影

「NOCUSる」(農家する)
美深町で
30年くらい前、東京の目黒区のはずれに住んでいました。
下宿の前を川が流れていたとは初め気づきませんでした。
だって、川とは名ばかり、フタがかぶせられてしまって、
水面など見えない、植栽の施された遊歩道だったのです。
当時、美濃部都政がさまざま先進行政に取り組んだけど、
川を水を住民から遠ざけてしまったことは失敗の一つだと、
後年、ひろく言われるようになったと認識しています。
ただし、そのころは川といえば、すなわちドブのことで、
住民がふれあえるような実態でなかったかもしれません。

15年くらい前に観た、ある映画の記憶から・・・
福岡県は水郷とも呼ばれる街、柳川市が舞台。
東京同様、ドブ川と化した堀割を埋め立てる
計画が建てられました。それを担当する部署の
課長だか係長だかに任じられた一人の市職員。
業務をすすめるうちに、既定方針を180度転換、
市長を説得し、水路をきれいによみがえらせ、
市民の憩いの場、さらに観光資源にまで育てる。
たしかそんな内容で、あわせて思い出すのは、
ナレーションがNHKの加賀美女史だったかな。
とにかく、
腹をくくって仕事をする行政マンが一人いれば、
そしてそれが住民の願とい重なる方向であれば、
こんなにも街づくりはすすむ!と印象的でした。

と、まぁ
長々と古い記憶をよみがえらせてくれたのが、
写真の場所。

道北は音威子府村の隣、美深町で見かけた川です。
草刈り大変だろうなぁ・・・いや、そうじゃなくて、
ふだん水量が少ないときには小堀で、人も親しめ、
雨などで増水したときには大きな断面の川で流す。
そんな工夫が凝らされた設計なんだと見ました。

追伸。
ここまで書いて、 「柳川堀割物語」を検索 してみました。
えっ!?
ジブリの宮崎・高畑コンビの作品だったの!?
いやぁまるで知らなかった。驚いた。
 

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